2023年6月
息子、学生生活のバドミントン🏸が終わった!
小2から初めて中学、高校と長いようで短かったのかな?
↓バドミントンを始めた頃。フォアのサーブが難しかった。
🏸始めたきっかけは、身体がめちゃくちゃ弱かったから鍛えるために何かスポーツをさせようかな?と思ってた。
↓高校時代のラケット。
沢山ラケット買ったなぁ。
お気に入りはアストロックス88
本人は🏸なんて知らなかったし、やった事もなかったが、私が好きという理由で(とんでも理由)
やってみたら?と勧めたのがキッカケだ。
ちょうど近所の女の子が🏸のジュニアに通っていたというのも大きい。
そんなこんなで始めたわけだが、当然最初から上手いわけではない。やる気があったか?というと、やる気はなかった🤣
でもちょうど一緒に入部してきた一つ下の男子がいたので、その子と仲良くなり通う事になった。
身体が激弱だったので、しょっちゅう風邪をひくわけです。その度に練習できないという事もあった。
試合にも出られないとか。
特に夜の練習が21時30分までだったので、それがネックでもあった。
激弱な人間にはきついんです。
あとは冬の底冷えする夜の体育館は、喘息の息子の肺にあまりよろしくはなかった。
入院した経験も多々あり、、復帰するまで身体が戻らないから、家族で体育館を取って自主練習して身体を慣らしたりあと、練習に参加したりしてた。
小4までは思うように練習できなかったな。
でもやめなかったのは、友達がいたからだと本人が当時言っていた。
私はその当時、体育館に練習をよく見にいってたな。
一つ下の男子ママさんと。
なかなか上達しない我が子の姿に2人でイライラ🤣
その当時、クリアしか練習しなかったもんだから、当然バック側とか打たれると取れない。
オーバーヘットストロークが全ての基本なのはわかるけどさ。
ヘアピンさえも教えないってなんなん?
私自身、当時ど素人だったし、ルールも分からなかったくせに色々ぶつぶつ言っていたわけです。
打ち方のクセがついてしまったのに、直せるコーチがいない💦
そりゃアウトになるし、サイドアウトになるわ。
↓シューズはラケットより多く買い替えたかも。足を使うからすぐにダメになる。
息子はこのシリーズをリピートばかりしていたな。
シャトルの筒入れで、真下に入る練習とかしてたけどね。
小学生の頃は人口も少なかったので、わりと県大会でも優勝とかできてた。
小5の時大会前にインフルエンザにかかり、復帰もままならないまま、試合になって、準優勝。
情けなくて。
悔しくて。
どうしたらいいんだろうって。
申し訳ないけど、このままここで練習してても強くなれないな、と。
↓トレーニングウェア。冬はお世話になった。ヨネックスの生地は丈夫で傷まない。
小2で初めての試合は、オープン大会でなんと県外の子が3人いてのグループリーグだった。
初試合の相手は、同級生なのにすでにジャンピングスマッシュを打ってきやがった。↓きやがった🤣
当然クリアだって、サーブだって高くてキレイで奥まで飛ぶわけです。
瞬殺されてあっという間に終了。
続く2人とも同じ。
この子たちはいったい何歳から🏸をしていたのかな。幼稚園かな。調べてみるとすでに全国を経験されている強豪だった😵
そして最後に試合した男子なんですが‥正直一番なんとかなった相手だった。負けたけど。
練習着。
でもさ、その子小6で全小ダブルス優勝したんですよ💦
もちろん都会の子で有名なジュニアの子。
今じゃU18メンバー😵
この差って、、
勉強もそうだけど、環境の差は大きいよね。
うちの子もその有名ジュニアに入部してたら、全国とかで勝ててたのかもしれないんだ。
親バカ発言ですがね。
それで話しは戻すけど、小5の準優勝のあと。
私は決意したのです。
当時YouTubeで井川里美さんの🏸レッスンをよく見て勉強していて。
その教材を購入し、井川さんの講習会に息子を連れて行くことにした。
井川さんの講習会は色々あった。
ハイバック講習会とかダブルスの動きについてとかカット、ドロップについてとか
学びたい打ち方講習を選んで申し込む。
井川さんはさすが、ノックがきれい(当たり前)
正確できれいだから、受けた人間はとてもためになる。
そして個々に癖を瞬時に見抜き、矯正してくれる。
井川さんの講習を受けた後の息子は、打ち方がとてもきれいになっていった。
教え方も丁寧で筋が通っているから、私でもわかりやすい。
小学生の息子でも!
中学に入ってからも、井川さんの講習会へは通い続けた。
ジュニアは勉強との両立が難しく、中1で辞めた。
コーチの考え方が
何が何でも練習にこい。
勉強なんて、俺はしなかった。
兎にも角にも練習に来る事が大事。
という考え方だったので息子、ついていけず。
途中でリタイアすることを面白く思わないコーチは、息子が挨拶に行ってもほぼ無視。
悲しすぎるな、大人のくせに。
というわけで、息子は部活だけで能力を維持することになった。
やめたから弱くなった。と思われるのがイヤで、息子自身もそれなりに頑張っていた。
一緒に外を走ったりもしたなー。
井川さんの所へ行ってる事は、誰にも言わなかった。何かやってるの?とよく聞かれたが、部活だけだよ。と絶対言わなかった。
井川さんの講習通いは、コロナが始まる直前まで続いた。(コロナのせいで講習会は一旦中止、現在は再開しています)
講習会が続いてたらなぁと思う時があります。
中学にはいってすぐ、実は衝撃的な事があった。
なんと強い県外勢力が2人も入ってきたのだ。
自分の県からだと県大会を勝ち進めず、全国に行けないから、うちの県に来たのだ。
それを聞き、どんな子なのか見てみる。
まだ中1になったばかりなのに、筋肉ムキムキですでに大人もいるレベルで試合に出ていた💦
息子と同級生💦
そしてずーっとシングルス、ダブルス両方とも一位、2位を独占されて行く事になる‥。
だからどんなに頑張っても、中学での最高成績はベスト4止まり。
団体戦には出てこなかったから、それだけはなんとか中3で🥇はとれた。
そうして、息子のモチベはどんどん下がっていく。
旦那は
ライバルがいた方がいいでしょ
なんてのんきな事を言ってたが
ただ一方的にボコボコにされるだけ(息子談)の
レベルの相手がいた方がいいのだろうか?
この県外勢たちも、ボコボコにされる自分の県を捨ててこっちに来たんだ。
何がライバルだー。
やる気無くすだけだ。(負け犬の遠吠えですかね)
その程度のやる気なら仕方ないみたいな事も言ってたが、わかってないなー、本当。
そして茶番(コロコロ)が始まり、学校が休校になり部活もできなくなり、試合もなくなった。
おそらくこの二つがきっかけで息子のモチベはどんどん低下。
高校進学についても
バドミントンはもう楽しくやりたい。俺は中学で燃え尽きた。みたいな事をすでに言っていた。
そして自転車で通える、バドミントンが強くない高校へ行く事になった。普通科希望。
どこへ行っても
もったいないもったいないもったいない
と言われた。
全ての推薦を🏸蹴って決めたのは息子。
仕方ないよね、やる気がないんだから💦
高校では、中3の春休みから
経験者だから部活にこいと言われ、入学前から練習。
4月に入って即試合、レギュラー。
高校の部活がスタートした。先輩がいるうちは、なんとかかんとか言ってやっていた。
息子の希望の高校における部活動とは
ちょっと練習してお休みは多い方がいい
ガチで練習しない
楽しくバド🏸をする
であったが、なぜか顧問がバドミントン経験者が揃い、ほぼガチのような練習が続いた。
日曜日はお休みって聞いてたのに、土日練習が入る。
ため息しか出ない息子。
やめてもいいんだよ、と言っても
クソ真面目な息子はやめる事ができない。どこかで大学進学の際、部活をやっていた方が有利だと思っていたのかもれしれない。
大学に行ってバドミントンしないってすでに宣言してたが。
高校に入ってからも、茶番で練習が休みになったり、試合がなくなったりしていた。
そして高2の6月。先輩が引退し、1番上になった。
懸念していたキャプテン問題。
中学生の時も先生から激推しされて、キャプテンを務めた。
そして高校生になっても、キャプテンにされる危機が‥
この高校では、先輩と先生の推薦でキャプテンを決めるのが伝統らしい。
そしてまたキャプテンに任命された。
俺はリーダーには向いていないと拒否するも、なぜか周りに押し付けられ?てしまう‥
無理はない。バドミントンの事を1番理解して1番経験しているのは、高校の中で息子が1番。わかっちゃいるけどやはりキャプテンって大変よね。(母親の私はそういうのやった事なし)
そして8月の新人戦。
体調不良で棄権。
ノーシードに転落。
そこから這い上がるには難しかった。
高3の最後の大会はあっけなく終わった。
高校のバドはほとんど観にいけなかった。コロ茶の無観客がずっと続いてたし。
そしてこの学年は呪われていた。
県外から沢山来すぎ。
一部の私学が人を集め始め、ベスト8はほぼその私学のランキング大会。
↓バドミントン部のマネージャーが1人ひとりに作ってくれたというキーホルダー✨器用だよねと息子。
県内だけ見たとしても、ジュニアやスポ少上がりの選手が沢山いて、それでなくても戦国時代だったのに、さらに県外勢も加わって、めちゃくちゃレベル高くなった。
とはいえ、一歩県外にでると全く勝てない県ですがね‥弱いんですよ💦
試合結果をネットで見たが、上位ほとんど男女私学勢だった。
強くなりたいと願うなら、金を出して私学に行かないといけないとやはり思った。
息子はやる気がなかったが。
こうして小2からなんだかんだで続けてきたバドミントン生活は幕を閉じた。
振り返ると、試合のたびに帯同してた小学生の頃が1番楽しかった。特に小6の全小広島は楽しかったなぁ。
ほぼ旅行だったよね✈️
コロコロ茶番があったり、私の両親が立て続けに亡くなったり、自分自身が難病になってバドミントンができなくなったり、大変な事が重なり、息子のバドミントンを楽しむ余裕もなくなったのは事実。
10年間使い倒したラケバ。頑なに新しいラケバを買おうとしなかった。
まさか、、ずっと使うとは思わなかった。なぜかみずの。
井川さんのサインいり。
シューズを入れるチャックが壊れている。
友達はトーナメントバッグを肩にかけてかっこよく決めていたのになぁ‥
中学、高校は辛い事の方が多く、なかなか勝てないし、モチベは下がるし。
なんだかんだで大変だった。
息子はバドミントンがそこまで好きではないようだ。私の情熱には勝てないって言ってたし。
今は同じく引退した同級生が中学の部活に行こうとよく誘ってくれるので行っている。
誘われれば行くが、自ら行こうとはしない所が、そんなに好きじゃないんだろうな。
バドミントン中毒者は、しばらく打たないと、禁断症状が出てくるもん。
うーん。中毒者になって欲しかったな。と思う‥。
それでもバドミントン仲間は一生ものだぞ。そしてバドミントンの技術も、歳を取っても体が覚えているし、経験者は打ち方がきれい。
これからは楽しみの一つとして、バドミントンをやるだろう。友達よ、ぜひ息子を誘ってやってくれ。頼む。