ももかめ日記

クサガメしゅうこ🌼さん♀。クロクサもみじ🍁♂。マレーハコガメさくら🌸♂の飼育日誌と趣味のバド🏸。その他気まぐれに思いついた事を綴っていきます。よろしくお願いします。

母の介護。助けになった兄の存在

私は3人兄弟の末っ子。

上に2人兄がいる。


1番上の兄は5年以上前からベトナムに海外単身赴任しており、頼る事はできなかった。


2番目の兄は実家から自転車ですぐの所に家を建てて家族と住んでいる。



それまでの兄弟関係は希薄で頻繁に連絡を取る事もなく、でも仲が悪いわけでもないといった空気みたいな兄弟だった。


お祭りやお正月など実家で集まる時に顔を合わせる程度のもの。


幼い頃は兄にとにかくいじめられ、ゲームをしては絶対に勝たせてくれないし、こらー!と追いかけられ、母の後ろに逃げ込むような兄弟柄だった。


だから内心兄の事が好きではなかった。

兄弟なんていらねー!と思った事もあった。

お姉ちゃんだったらよかったのに!とも思っていた。


1番上の兄にはいじめられる事もなかったけどね。6つも歳が離れていると関わる事自体が少ないのよ。


それが母の介護で私の兄への想いは360度ひっくり返った。


あんなに意地悪でいじめっ子だった兄が!

兄にも自覚があり、私をいじめていたー!とケラケラ笑うほど。



「おとうの時は何もしてやれなかった。

だから、おかあはちゃんと面倒みてあげたいんだ。」


お母さんの様子がおかしくなって来た時発した兄の言葉。決意とも取れる言葉だった。


確かにお父さんはあっけなくいってしまった。

お母さんには散々迷惑かけていたけど、私達子供に手をわずらわせる事がなかった。



お母さんの時は、2人で交代で病院受診の付き添いしたり、手術の時の説明を受けるのも交代でやった。入院の支度やら、退院のお迎えやらとにかく人手が必要なのだ。


在宅で過ごすようになってからは、使えるサービスはフルで活用したけど兄がいなかったらホントにどうなっていたのか?想像するだけで恐ろしい。

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ベッド、トイレの補助バー。

介護保険で家の中で必要と思われる箇所に手すりの設置。段差がある箇所に台の設置。

写真左は玄関入り口。

手すりと段差解消の台の設置。

写真右はトイレの補助バー(レンタル)


緊急ボタン、ふれあいペンダントの申請。

廊下に滑り止めを敷き詰めた。

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とりあえずはこれだけしたけど、実家に行くたびにあちこちに手すりが増えているではないか。


特に階段に取り付けてあった手すりを外して、トイレに付けちゃった兄には驚いた。


昔から手先が器用な兄だった。その能力をフル稼働して母が必要と思われる箇所に手すりを取り付けた。


介護保険でつけてもらった手すりだけでは足りなかったからだ。


母は最初こそ杖を使っていたが、だんだんと危なくなってきた。

歩行器が良かったのだけど、いかんせん家の狭い廊下では使えない。


もちろん車椅子もNG。


レンタル車椅子を借りてきて使うよう母に言うと

「こんなもん使ったらますます足がダメになる。なんで借りてきた?」


とダメ出しを食らった。


そこで兄が考えた一手。

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これが家の中にあったみたいで、ゴロがついていなかったから、ゴロをつけてこのラックに両手でつかまりながら移動する一手を考えた。


これなら狭い廊下でもUターンの必要がない。

おまけに上に物が置ける。


母は最後までこれを使っていた。

沢山歩行器借りてきて試してみたけど、Uターン出来ないからダメだった。


問題はつかまる所がなく、滑った事。

それでも母の助けになったものである事は間違いなかった。


このラック使用には正直驚いた。兄は介護経験もないが、母の為に考えて考え抜いた一手。。


ご飯に関してはヘルパーさんを派遣。2食分作ってもらったが、介護度の関係で週に3日しか入れず、そのほかの時間帯は兄と私でなんとか用意した。

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ヘルパーさん調理のおかずたち

本当に助かりました🙏



買い物は私がまとめて買い、冷凍した

ご飯はお粥を炊いて冷凍して何とかやっていた。



また母は自分の具合が悪いせいで、愚痴やイライラをよくぶつけてきた。

その矛先は娘である私の方に強く来た。


その事で母とは摩擦が生じた。

私も大人気なかったが、もはや限界だった。


「お兄ちゃん、私もうお母さんの面倒見れない」


とLINEで愚痴った。


「でもよ!

ももかめが

いないと俺がえらい


うちらは

3人兄弟


兄貴は海外で

仕方ない


ももかめは、隣町

俺は、近隣に住んでいる。


もし

俺がもっと遠くだったら


俺も、ももかめと同じ様に

なっているかも知れない。


近くだから

なるべく世話はみるけど


ももかめが

愛想尽かすと


困るよ


おかぁには

何となく言っておくから


何とか

頼むよ!」


と返事が返ってきた。


そうは言っても母と娘、女同士、頑固者同士、似た物同士。


はい、すみませんなどとお互い謝る事ができない。


兄が間に入って仲裁。


余計な仕事を増やしてごめんなさい🙏と思ったが


「俺ら3人でなんとかやっていかないとならないんだから、な?」


母もわかっているけど、ムスッとしていたな。


息子は母親に優しいと言われるけどそうかもしれないと心底思った。


どうしても母の所に行けない日が続いた時も、兄は決して私を責める事もなく、淡々と母のお世話や受診に付き添った。


母は私が忙しい忙しいと連呼することに対して険しい表情をしていた。


仕事だけでもヘロヘロになるのに、加えて家の事、子供の事。そして母の事。


私はいくつ身体あれば足りるのだろう?

そういうストレスが溜まりまくった。


溜まるストレスを解消したくて私はさらにバド🏸に没頭した。

羽を打っている時は母の事を忘れられるのだ。

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しかしそのバド🏸も母の事で潰れる事もあった。


仕事でも家でも介護‥


そんな日々は、期間にすると大した事はなかったのだが母と私と兄にとっては長く長く辛い日々であったと思う。


治したい一心で色々な治療やリハビリを頑張ったけど、良くなる事どころか何をしても悪くなるだけで、笑顔は消えた。


臨終で兄が


「結局おかあは全く笑ってくれなかった」


と泣いた。

一生懸命お世話したのにね‥


母がなくなり、家に帰宅する時は深夜だった。

実家の整理と掃除をしたら午前3時を過ぎていた。


一睡もせずにいたので疲れ果てた私はそこでウトウトしてしまった。


でも兄は何も言わずに家の片付けをずっとしていた。


兄は一睡もせずに朝を迎え、葬儀の日程の取り決めなどに取り掛かっていた。


お兄ちゃんはなんでそんなに頑張れるのか?凄い凄い凄い。


お兄ちゃんがいなかったら私1人でどうなってたのか??

考えるだけで恐ろしい事だった。


母がいなくなってから、兄は私の仕事の事で


「ももかめは身体を使う仕事だから、疲れると思うよ。

おかあもそれをわかっているようでわかっていなかったかも。でも1番頼りにしていたのは、俺じゃなくももかめだったんだよ」


「え?私?お兄ちゃんじゃなくて?」

「俺じゃないよ」


私は色々言い訳して十二分に母に色々してあげられなかった事を後悔しつつ、、でもそうする事しかできず、、


でも!


母親がいないとダメだったほど母親依存だった私は


母との最後の喧嘩、仲違い。治る事のない絶望の病気。


これがなければずっとずっとずっと母の事を引きずり、お別れが出来なかったと思う。。


母との最期の別れの時私は


ようやく苦しみから解放されたね

ようやく辛い日々から解放されたね

お母さん‥


そういう思いでいっぱいだった。。

覚悟ができていたから、お別れができたのだと思う。


母なりの私に対する自立を促していたのか?と思うほど。


そして兄がいたからなんとかやって来れたわけで。。。

とても1人では乗り越えられなかった‥


お母さん今までありがとう、ごめんなさい🙏


そしてお兄ちゃんこれからもよろしくお願いします🙏


お母さん心配せずに。

兄弟でなんとかやっていくからね。